黒川光博(とらや社長)のwiki風プロフや息子の経歴は?羊羹をチョコレートに?【マツコの知らない世界】

2018年1月9日(火)

20時57分~22時54分に放送の

『マツコの知らない世界』2時間SP

に出演の黒川光博さんのwiki風プロフは?

息子さんの人物像経歴は?

虎屋が現代まで続いてきたワケは?

虎屋の羊羹をチョコレートにとは?

について調べていきたいと思います。

『マツコの知らない世界』については他にも

記事がありますので、コチラも合わせて

みてくださいね^^

↓↓↓↓↓

イケメン建築士!稲葉なおとに妻はいる?名建築宿での仕事内容と年収は?

<目次>

  1. 黒川光博さんのwiki風プロフィールが知りたい!
  2. 黒川光博さんの息子さんの人物像や経歴が知りたい!
  3. 黒川光博さんが社長の虎屋が現代まで続いてきたワケを知りたい!
  4. 黒川光博さんが目指す「羊羹をチョコレートに」を知りたい!

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黒川光博さんのwiki風プロフィールが知りたい!

黒川光博さんはどんな人物なのでしょうか?

wiki風プロフィールを見ていきましょう。

出典:https://www.google.co.jp

氏名:黒川光博

生まれ:1943年(2018年75歳)

出身:東京都

黒川光博さんは老舗和菓子店『虎屋』

17代目社長です。

学習院大学の法学部を卒業後、

富士銀行(現みずほ銀行)に入社します。

老舗和菓子店の跡継ぎなのに

銀行に就職とは、めずらしいと

思ったのですが、これには

理由がありました。

17代目社長黒川光博さんは先代から、

「『虎屋』を継ぐまでは

好きなのことをやりなさい」

言われていたそうで、『虎屋』を継いだ時

役に立つという理由で銀行を

選んだのだそうです。

経営者としては、銀行で学ぶべき

ことが多かったのでしょうか?

銀行で数年間勤務した後、

1969年に虎屋(とらや)に入社しますが、

5年間、現場の工場勤務をしながら

『虎屋』の和菓子の製品について

基礎から学んだようです。

将来、『虎屋』を継ぐにはまず、

「現場を知らなければ」という

姿勢が素晴らしいです!

やはり、老舗企業の跡継ぎは

考えることが違いますね^^

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黒川光博さんの息子さんの人物像や経歴が知りたい!

黒川光博さんの息子さんは

黒川光晴さんと言います。

出典:https://www.google.co.jp

優しそうな顔立ちですね^^

息子黒川光晴さんは、現在

『虎屋』専務取締役を務めています。

アメリカのマサチューセッツ州

バブソン大学経営学部を卒業後『虎屋』に入社。

2010年にはフランス『虎屋』

店舗勤務をしています。

そして2013年から社長室勤務となりました。

息子黒川光晴さんはグローバルな視点を

持っているようで、2012年~2013年には

『虎屋』休職貿易会社

務めていたそうです。

これからの『虎屋』の姿を

模索していたのでしょうね。

貿易会社に在職中には、

UAEサウジアラビアシンガポール

などで勤務していたのだとか。

今後、『虎屋』が海外進出するときには

この経験が役立つのでしょう。

息子さんも、広い視野をもった

経営者になりそうですから、

社長黒川光博さんも

安心して後を任せられるのでは

ないでしょうか?

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黒川光博さんが社長の虎屋が現代まで続いてきたワケを知りたい!

黒川光博さんが社長を務めている

老舗和菓子屋の『虎屋』

室町時代から500年も続いている

長い歴史があります。

出典:https://www.google.co.jp

現代まで、途切れずに長く

続いてきたワケは何かあるのでしょうか?

黒川光博さんのおじい様である

15代当主が亡くなる直前に

人事異動があったのだそうですが、

病床のおじい様から言われた

「古い人も大切にね」という言葉が

とても、印象に残っているそうです。

『働いている人たちを大切にする』

という代々当主の考え方

引き継がれているのかもしれませんね。

それと同時に、

『時代に合った感性で、絶えず新しさを

生み出してこそ、現代に生きる虎屋になる』

ということも、その時代ごとの当主は考え、

実行してきたから、創業以来500年続いて

これたのではないでしょうか?

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黒川光博さんが目指す「羊羹をチョコレートに」を知りたい!

黒川光博さんは

『虎屋』1980年には、パリに出店しました。

出店当時は、パリの人々に

「黒い石けんみたい」と言われた羊羹ですが、

今では、8割が現地のお客様だそうです。

パリのお客様の

「もっといろんな香りがあるといいのに」

という声がヒントになり、

1984年には、フランスの味と日本の味とを

ドッキングさせたモダン感覚の羊羹

『羊羹de巴里』を独自に考案し、売り出しました。

ミニサイズで、カシスコーヒーミントなど

6種類の味は、外国人向けにアレンジを

加えたものだそうです。

黒川光博さんはパリ出店の経験から

「和菓子は将来も残る」と強く確信したそうです。

もともと、チョコレートの原材料である、

カカオマス自体は甘味がなく苦いものです。

「チョコレートが世界に広まったのは、

カカオマスに砂糖や粉乳を加えておいしくしたから」

で、羊羹も原材料の小豆自体は甘味がなく、

砂糖を加えておいしくしたものというところが

チョコレートに通じると、考えているようですね。

その考えを明確にしたのが、

「羊羹をチョコレートのような

世界商品にしたい」

という、今後を見据えた言葉に

なったのだそうです。

日本食はヘルシーだという海外の

流行からも、羊羹チョコレートのような

世界商品になる未来も、そう遠くは

ないかもしれませんね^^

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まとめ

黒川光博さんは500年も続く

老舗和菓子店17代目当主です。

代々、守り続けてきた伝統を大切

しながらも、現代に合わせた新しい

和菓子を作り出していこうとする

チャレンジ精神も持ち合わせています。

働いている人を大切にしながら、

今後もおいしい和菓子を作り続けて

欲しいと思います。

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