似鳥昭雄(ニトリ会長)は韓国人?父母の教育方法が強烈すぎる!妻の支えに感謝の言葉。

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お、ねだん以上~ニトリ♪のCMでお馴染みのニトリ。

新しい季節の訪れや新生活の準備、

ハロウィンやXmasなどのイベントで

インテリア雑貨を選ぶために足を運ぶ方も多いでしょう。

お値段以上の高いクオリティーやデザインの良さ、

トータルコーディネートされたディスプレイに惹かれて、

つい、欲しくなって手に取ってしまいますよね^^

右肩上がりの成長を続けるニトリ会長似鳥昭雄さんが、

立て続けのTV番組登場で注目を集めています。

プロフィールや、韓国人だというウワサや、

父母の教育方法が強烈すぎるという話と、

支えた妻の人柄についても調べてみたいと思います。

似鳥昭雄さんの年収や長者番付の資産額や息子と娘については、コチラの記事を見てくださいね^^

↓↓↓↓↓

似鳥昭雄(ニトリ会長)の年収と長者番付!息子を社長にしない理由が深い?娘は何してる?

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<目次>

  1. 似鳥昭雄さんのプロフィールは?
  2. 似鳥昭雄さんが韓国人というウワサはナゼ?
  3. 似鳥昭雄さんの父母の教育方法が強烈すぎる?
  4. 似鳥昭雄さんを支えた妻の人柄は?

似鳥昭雄さんのプロフィールは?

似鳥昭雄さんは、どんな人物なのか、

プロフィールを見ていきましょう。

◆似鳥昭雄


出典:https://www.google.co.jp

●プロフィール

名前:似鳥昭雄(にとり あきお)

生年月日:1944年3月5日

年齢:74歳

似鳥昭雄さんは、生まれは樺太で終戦後は札幌市で育ちました。

似鳥一族の祖先は、南部藩で家老を務めていたらしいのですが、

戊辰戦争で敗れて、岩手県から北海道に開拓民として移ってきました。

似鳥昭雄さんは、そんな開拓民の4代目に当たるそうです。

似鳥という苗字は、今も岩手県に残る「にたどり」という地名から来ていて、

似鳥一族のうち、本家筋が「にたとり」分家は「にとり」を名乗ったのだとか。

似鳥って、珍しい苗字だと思いましたが、地名なんですね~

ニトリという社名は、何か深い意味があるかと思っていましたが、

似鳥昭雄さんの苗字から付けられたものだと分かりました。

では、ここで少し経歴をご紹介します。

  • 1962年 北海道工業高等学校卒業
  • 1964年 札幌短期大学卒業、北海学園大学編入
  • 1966年 北海学園大学経済学部卒業
  • 1967年 似鳥家具店を札幌で創業
  • 1972年 株式会社ニトリ設立
  • 2005年 秋の栄典で藍綬褒章を受章
  • 2007年 フランス共和国札幌名誉領事に就任

略歴を見ていくと、初めからニトリという会社名ではなく、

前身は似鳥家具店という名前だったんですね。

地元に家具屋だけがないことに目をつけて始めた、

小さな家具屋さんだったそうです。

それが現在では、世界5万店舗を目標にしているという

巨大チェーンストアに成長しました。

そんな大成功を収めている似鳥昭雄さんが、

韓国人だというウワサがあるのはナゼなのか、

次で調べて行きたいと思います。

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似鳥昭雄さんが韓国人というウワサはナゼ?

ネットで検索すると、

似鳥昭雄韓国人」というキーワードがあります。

ところが、プロフィールを見ても分かる通り、

岩手県から北海道への、開拓民4代目であると書かれています。

ここに、韓国人という要素はありませんよね。

出生地も韓国ではなく樺太(サハリン)ですから、

ロシア人というのは可能性としてありそうですけど、

韓国人の根拠が見当たりません。

では、韓国人というキーワードが出てきたのはナゼでしょう?

いろいろ調べたところ、結局はデマのようでした。

似鳥昭雄さんの苗字が珍しいものだったことや、

顔立ちが、大陸系の韓国人にも見えることから、

韓国人というデマが流れたようですね。

日本の起業家に在日韓国人が多いからというのも

勝手な憶測を呼ぶ要因だったのかもしれません。

結論として、ご両親は、ともに日本人で、

似鳥昭雄さんは、樺太(サハリン)生まれではありますが、

れっきとした日本人で、韓国人というのはデマでした。

似鳥昭雄さんの父母の教育方法が強烈すぎる?

似鳥昭雄さんは、

父親の義男さんと、母親の光子さん夫婦の長男として生まれました。

13人兄弟の4男だった父親は、自分の土地が無かったため、

昭和10年代に樺太(サハリン)に移住し、

そこで出会った母親の光子さんと結婚して、農業を営んでいたそうです。

◆運はつくるもの

出典:https://www.amazon.co.jp

「運はつくるもの」というタイトルで書籍化されていますが、

似鳥昭雄さんが日経新聞で連載していた「私の履歴書」の中で、

明らかにした破天荒な人生が話題となりましたが、

この中で語られた、父母についての話が強烈過ぎました。

まず、母親についての記述を見ていきましょう。

昭和16年に太平洋戦争が始まると出征(しゅっせい)し敗戦後はシベリアに抑留(よくりゅう)された。

 一家は大変だったが、母はソ連軍の嫌がらせにも負けない気丈な性格だ。
母の身長は160センチと当時としては高く、がっしりした体つき。

樺太で住宅の土台に必要な砂を川から運ぶ仕事もしていたが、男に負けない豪傑だった。

出典:https://matome.naver.jp

似鳥昭雄さんから見た母親は、かなり男勝りの強い女性だったようです。

太平洋戦争が終結すると、北海道の祖母の家に身を寄せた後、

父親の帰国を機に、別の引き揚げ者住宅へ移り住み、

母親はヤミ米屋で生計を支えていたそうです。

当時、米屋は薬局のように免許制だったそうですが、

無免許で米を販売する店をヤミ米屋と言ったのだとか。

米屋の訴えによる取り締まりの要請を受け、

駐在所に呼ばれることもしばしばだったそうですが、

それにも、全くひるまずヤミ米屋を続けた母親は、

肝っ玉母さんですね。母は強しです^^

大工の修業を始めた父親は、その後土木会社を作りますが、

それまでは、日雇いの仕事で食いつないでいたんだとか。

そんな父親は、母親がヤミ米屋で売る米を仕入れるために、

似鳥昭雄さんを連れて、馬車や馬ソリで農家を回っていたそうです。

田んぼを回り、稲を食べると出来栄えが分かったらしい。
そこで農協より少し高く買い、利ざやを少なくして正規米より安く売るというわけだ。
父がヤミ米の仕入れと物流を担当し、母が販売する姿はニトリの初期の経営に似ていた。

出典:https://matome.naver.jp

似鳥昭雄さんは、幼少時から父母の商売のやり方を見て、

流通業と小売店の仕組みを、知らず知らずのうちに学んでいたんですね。

父母は、教えようと思ってのことではなく、

子供たちを育て、生きていくために必死だったのでしょう。

その、必死な生きざまが、似鳥昭雄さんにとっては、

どんな教育方法より、強烈に心身に刻み込まれる結果となったんですね。

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似鳥昭雄さんを支えた妻の人柄は?

似鳥昭雄さんには、百百代(ももよ)さんというがいます。

二人の出会いは、両親に勧められた見合いだったそうです。

仕事に集中するためには、結婚した方が良いという考え方は、

昔の日本では、ごく当たり前だったんでしょうか。

そういえば、出光興産の創立者である出光佐三さんをモデルとした、

ベストセラー小説の「海賊と呼ばれた男」でも、

主人公の国岡鐡造氏が、周囲から同じようなことを言われて、

結婚を決めるというシーンがありましたね。

昔から、日本で成功した「ひとかど」の人物には、

内助の功で支える妻の存在が欠かせないようです。

さて、の百百代(ももよ)さんは、どんな女性なんでしょうか。

24歳の時に20歳の奥様と結婚なさったそうですが、事業をこれだけ大きくできたのも奥様の支えが大きかったからですか。

出典:https://dot.asahi.com

こんなインタビューに対して、似鳥昭雄さんは、こんな答えを返しています。

うちの家内と結婚していなかったら会社は潰れていたかもしれません。いや、もう食べていけなかったでしょうね。

僕は対人恐怖症で接客が全くできなかったんです。だけど、家内は気楽に「いらっしゃいませ」とお客さんに話しかけるんですよ。家内が店に出るようになったおかげで売り上げも倍の80万円になって何とか赤字続きだった店も立ち直ることができたんです。以来、接客は家内に任せて僕は商品の仕入れと配達に専念することができました。

出典:https://dot.asahi.com

似鳥昭雄さんがとなる百百代(ももよ)さんと、

初めて会ったときの印象は、

「愛嬌があって、健康的」

「丈夫で長持ちする感じがよかった」

というものだったそうです。

愛嬌があるというのは、商売をやる上ではとてもプラスですよね。

さらに、の百百代(ももよ)さんは、超ポジティブな人でした。

欠点と思える短所も超ポジティブ思考にかかれば、

長所に代わってしまうほどだったそうです。

僕は社員にも「短所あるを喜び、長所なきを悲しめ」といつも言ってるんですね。みんな短所を気にするけど、そんなもの気にするな、と。僕自身、接客ができないから俺はダメな男だといつもコンプレックスを抱いていたんですが、自分の仕入れた商品が売れるようになったら仕事が俄然(がぜん)面白くなってきたんです。

出典:https://dot.asahi.com

インタビューでこんな言葉を返していますが、

似鳥昭雄さんがここまでこれたのは、

妻の百百代(ももよ)さんの超ポジティブ思考と、

献身的な支えがあったからですよね。

気負わず、妻に感謝の言葉を伝えられる、

ご夫婦お二人の関係は、とても素敵です^^

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まとめ

似鳥昭雄さんは、

大手家具小売りチェーンのニトリ会長です。

商売の基礎は、父母の働く姿から実地で学び、

強烈に刻み込まれました。

24歳で結婚し、妻に迎えた百百代(ももよ)さんは、

超ポジティブ思考で似鳥昭雄さんのメンタルを支え続け、

ニトリの成功になくてはならない女性だったと、

感謝の気持ちを伝えています。

似鳥昭雄さんは、現在も強い信念のもと、

代表権がある会長職として、

まだまだ今後も、ニトリの躍進に力を注ぐそうです。

今後の更なる活躍から目が離せませんね^^

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