皆さんは「少年院あがり」という異色の経歴を持つ、美少女アイドル戦慄かなのさんをご存知でしょうか?
『アウト×デラックス』『サンデー・ジャポン』に出演してから「あの子ヤバイ!」「何者?」と大反響を巻き起こしているんです。
今までのアイドルとは全く違う、独特な雰囲気と言動から目が離せませんし、どんな家庭で育つと、こんな娘になるのか気になって仕方ありません!
名前の読み方と本名、少年院送りの理由や母親と共依存、妹の芸能界デビューについても、調べていきたいと思います。
戦慄かなのさんの読み方や本名などプロフィールは?
戦慄かなのさんは、どんな女の子なのか名前の読み方や本名などのプロフィールを見ていきましょう。
◆戦慄かなの
●プロフィール
生年月日:1998年9月8日
年齢:20歳
出身地:大阪府
戦慄かなのさんは、2017年のスカウトをキッカケにアイドルグループ「のーぷらん。」の一員として活動を開始し、大学受験のために休止していたアイドル活動を2018年春から再開しています。まだ、駆け出しのアイドルなんですね~
当然ですが、戦慄かなのさんは本名ではありませんよね。
ただ、インタビュー記事を読むと「かなの」は本名みたいな答え方をしているので、苗字は分かりませんが、名前は本名を使っている可能性があります。
そして、名前の読み方ですが、「せんりつ かなの」と読みます。
そんなの知ってるよ!と言う方もいると思いますが、戦慄とは「恐ろしくて、震える」という意味です。
アイドルにつけるには、あまり相応しくない名前ですよね?
実は、この名前には、戦慄かなのさんの生い立ちが関係しているようなんです。
戦慄かなのさんが小学校2年生の頃に両親が離婚してしまい、大阪から東京に引っ越してきて、母親と妹の3人暮らしでした。
親に甘えたい時期も母親は、育児に関心がなく育児放棄(ネグレクト)で、学校では陰湿なイジメに会い、自律神経失調症とパニック障害を患い、中学2年生の時には、自ら命を絶とうとしたのだとか。
中学校の校舎から飛び降りたんだそうです。
家庭に何の問題がない子でも思春期の真っ只中の中学生時代は、悩みも多くストレスを抱えているハズです。
それなのに、母親の愛情は注がれず、学校ではイジメられ、心の病を抱えて、もう限界まできていて発作的に、飛び降りてしまったんでしょうね。
当時は、逃げ場もなくて辛かったでしょう。でも、命が助かって本当に良かったです。
戦慄かなのさんは、その後14歳の頃から家に帰らなくなり、犯罪が身近になっていったんだそうです。
だんだん、犯罪に対する感覚もマヒして、少年院送りになる犯罪へ手を染めることになります。
戦慄かなのさんの少年院送りの理由は?
戦慄かなのさんは、数カ月で出所することもある少年院に2年間近くもいたことから「長老」と呼ばれていたそうです。
なぜ、そんなことになってしまったのか?
なんとか中学を卒業して私立の高校に進学しますが、学校にも家庭にも心安らぐ居場所がなく戦慄かなのさんは犯罪に走りました。
東京の新宿・歌舞伎町や秋葉原などの繁華街を徘徊し、万引、窃盗、詐欺などに手を染めていったのだそうです。
当時を振り返ってこんなことを言っています。
「10代前半から万引、窃盗グループのパシリ、詐欺の手伝い…当時は全く悪いことをしている意識がなくて、とにかく稼ぎたいという感覚になっていたんだと思います」
高校1年生の後半に自主退学した戦慄かなのさんは、JKビジネスを立ち上げ、のめり込んでいきますが、大金を稼いでいたのが携帯の履歴からバレてしまい、あえなく少年院送りとなりました。
JKビジネスって、一体どんなものかと思いますよね。戦慄かなのさんのインタビューから詳細が分かりました。
「100円均一で大量に買ったパンツを街でスカウトした女子高生にはいてもらって、1枚8000円でオジサンたちに売っていました。スカウトした女子高生は200人くらいで、買ったオジサンはもっといた。月100万円以上の売り上げは当たり前。月300万円稼いだこともあり、気が大きくなっていきました。
高校生で月収300万円も稼ぐとは、只者ではありません!
戦慄かなのさんがしたことは、確かに悪いことなんですけど、商才があるなぁと関心してしまいます。
買う大人がいるから成り立ってしまうんでしょうが、そんなに売れるなんて、日本のオジサンたちにガッカリですよ!
周りは、遊ぶお金欲しさでしたが、戦慄かなのさんは、お金が無かったら生きることも、ままならないという過去の経験から、お金に貪欲になっていった結果だったんです。
罪は罪かもしれませんが、考えさせられる話です。
そして、戦慄かなのさんは、こんなことも言っています。
小さい頃からお金の問題で両親がもめるのを見ていて、『世の中で大事なのはお金』という考えが根幹にあった気がします。だけど、振り返ってみると別に何か特別欲しいものがあった訳じゃないんです。ただ、『お金があれば幸せになれる』と漠然と思っていた。
あとは、どこかでお母さんを喜ばせたかったのだと思う。当時、たまに稼いだお金を、お母さんの財布にこっそり入れていました
何かが欲しいわけではなく、お金があれば幸せになれると思っていたという言葉に涙がこぼれました。
幸せになりたくて必死でお金を稼いだのに、少年院送りになってしまった戦慄かなのさんが、可哀そう過ぎて胸が痛みます。
母親と共依存についてや、妹も芸能界デビューについては次のページを見てくださいね^^
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